猫ようかん出張所
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対立と共有の世界 /『絶対少年』
2005/11/19(土) 14:09 
 ■ 最終回(#26)の感想
 難解な作品というのには2種類あって、いわゆる理論的に読み解くべき作品と、感性を総動員して受け止めなければならないものとに分けられると思うんです。先日感想を書いた「ハウルの動く城」などは後者。そしてこの「絶対少年」もそうだと思います。

 どっちが高尚、とかそういう問題ではなく、ボクはこの後者に属する作品が好きなんですね。ちなみに言うと、この作品を前者のやり方で理解しようとすると、須河原さんと同じになります。

 須河原さんのやり方が間違っているというわけでもないんです。この最終回で語られているように、真実は受け止める人の数だけある。須河原さんは彼女のやり方で事件を理解しようと努めているし、事件を経て登場人物のすべてに訪れた変化は、もちろん彼女にもあらわれていました(本を出版前にマッキーに読んでくれ、というところがそう)。

 キャラクターたちはそれぞれの世界の中で生きていて、無理解や齟齬、相克、すれ違いを繰り返しています。この作品で、昨今手段の大きく変わった“コミニュケーション”の代表格である携帯(メール)を使うなどして描写してきたのは、そのあたりであるかと思います。

 ここで解ったようなことをひとつの文章で言い表わそうとすると、まさに須河原さんのようになってしまうのでアレなんですが(^_^;、つまりこの最終回でキャラクターたちが感じた意識には、ふたつの側面があるように思います。

 自分だけが他と違う、不幸だ、という意識。他人とうち解けられない、やがて友だちは自分と離れてしまうだろう、という負の感情。誰でも持ってますよね(これはわかりやすい描写がされていた)。そのことがひとつ。

 もうひとつは、あの横浜の港にいた6人だけの“共感”によって得られる結びつきです。
 その場所にいなければけっして解らないもの。歩くんは、だからあの場所で彼女を待っていたのではないかと。

 あの不思議現象そのものはファンタジーです。なぜ起こったのかということはある意味どうでもいい。むろん、和解をあの事件の当事者たち(希紗だけでなく)が無意識的に求めていたからという解釈もできますけど、携帯メールや本では伝えられない“共感”は、その時その場所にいることによってのみ生じるものです。
 たとえばバンドかなにかをやっている人なら、あるライブで観客と共有した空気みたいなものは、そこにいた人でなければ解らない、というようなことが解ってもらえるかと思います。スポーツ観戦とかでもいいです。ボクはアーバイン大活躍の97年鈴鹿のF1グランプリを現地で体験していますが、それを知っているだけに、2002年の琢磨の初ポイントGETの瞬間にその場にいなかったことが悔しくてたまらない(^_^;。

 閑話休題……。

 人との共感やその反対の“対立”(これはこの第2クールでずっと描かれていた)は、フェアリーたちが見せてくれたように、相反するものに見えて、本質は同じです。そして誰にも共通するものです。

 それが解ったおかげで、希紗は最後にあんな可愛い笑顔を見せてくれるようになった……とボクは解釈したのですが、どうでしょうか。歩に「ありがとう」と伝え、風呂に入って学校へ行くために制服を着た姿が、彼女の“変化”でした(^^)。

 「そんなん、あらためて言われるまでもなく解ることだろ」
 と言われるかもしれないとは思いますが、まさにそれがこの作品で突っ込みたかったことなのではないでしょうか。この作品を観て、「なるほどなぁ」と感じるその意識は、観た人どうしの間でしか共有できないものなのです。

 ちょっと違うかもしれませんけど、同じ場所で共通の体験をするだけでわりと強い仲間意識ってできるものだし(同窓、サークル、職場、チームetc)……歩くんと美紀ちゃんがずっと遠距離恋愛してるのもその延長でしょう(田奈のあの夜の体験)。
 子供の頃同じ座敷童子(わっくん)を見る体験をした希紗と歩くんも、そんなつながりだったんだと言えなくもないですね(間にドッシル・シッシンとかオカカ婆とかいろいろ入りましたけど)。
 だから、ふたりが横浜で出会わなければ、あのエンディング(と、キャラクターたちの変化)はあり得なかった。

 そう解釈すると、1クール目と2クール目でまるで別のものを描いていたように見えるこの作品も、きちんと最後までつながっていたんだなぁ、ということがよくわかりますね(^^)。

 思いっきりフラレたマッキーと、フッた理絵子ちゃんの関係も、この体験を経た後、きっと変化があるんじゃなかろーか……。


 さて放送時間が40秒延長って……なんできちんと最後まで3匹劇場やるかな(笑)!
 スタッフ、わかってるな(;´∀`)!




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TBありがとうございます(^^)。TBいただいた記事はぜんぶ読ませていただいてます~。
TBはほぼ100%お返ししてますが、たまにはじかれることがあるようです。
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神速の錬金術師の更なる練成~三位合体~さん 「絶対少年 第26話(最終回)「頼りなく豊かな冬の終わり」」
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2005/11/30(水) 21:13:49
コメント
この記事へのコメント
 本当に今さらですみませんが、ふと見つけたので、TBさせていただきます。この作品については、本当にいろいろな人たちとの出会いがありました。

 どちらかというと当方は「理詰めで分析する」方法でアタックしてみました。でも、須河原にはならなかった自信はありますよ。
 最初からスタッフが考えてもいないであろう「脳と意識」という概念をぶつけることで、作品の外枠を押し広げることが目的だったから。評論は必ずしも作り手の制作意図を見つけだすことが目的ではないだろうし。

 ご意見、うかがいたいところです。
2005/11/30(水) 21:20:55 | URL | てんちょ #-[ 編集]
● コメント&TBありがとうございます(^^)
 「絶対少年」はいろんな意味で脳の刺激になる作品でありました(^^)。
 てんちょさんのブログも読ませていただきました。それぞれのアプローチでの作品解釈を拝見するのはじつに興味深いです。

 何万回の解釈の努力と歩み寄りを重ねても、たった1回の体験共有にはかなわないのだなぁ、というのがボクが最終回を観ての実感でした。だからこそ、須河原さんタイプの人でも変化を得られたのだなと思ったのです(その場にいたから)。

 でも、その須河原的アプローチは遠回りではあるかもしれませんが、決して無意味というわけでもありません。そこで思い出されるのが、第1話で歩のお父さんが言っていた一言であります。

「考えるのをやめるな」

 これをボクはずっと念頭に置いてこの作品を視聴していました。思えば、それが受け手側にもっとも必要なことだったかもしれませんね。
2005/12/01(木) 00:55:11 | URL | まいら #-[ 編集]
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